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​石見銀山遺跡とその文化的景観 2007年 登録基準 (ii)(iii)(v)  戻る

講演動画:詳細世界遺産-石見銀山遺跡とその文化的景観-

執筆記事:石見銀山遺跡とその文化的景観

 

 構成資産を含む「銀鉱山跡と鉱山街」「街道」「港と港街」によって、かつて年間1,000kg~2,000kgの銀が生産・輸出された銀産業の営みが今に残されている。博多の商人である神屋寿禎(かみやじゅてい)によって開発が進められ、朝鮮半島からもたらされた灰吹法という銀の精錬技術が用いられた。石見の地域は有力大名によって幾度も争奪戦が勃発し、1600年の関ヶ原の戦いの後は徳川幕府の支配下に置かれた。その時に銀鉱山の管理を任された大久保長安(おおくぼながやす)の名は、最大の間歩である大久保間歩に残されている。また、鞆ヶ浦(ともがうら)や沖泊(おきのどまり)という港、そこへ行くための街道も世界遺産として登録されている。

​ 鉱山街へは、石見銀山世界遺産センターからバスで行くことができる。一般公開されている「龍源寺間歩」は、坑道内の雰囲気や気温・湿度などを肌で感じることができる。また、かつて銀の精錬が行われた「清水谷製錬所跡」も見ることができる。沖泊の近くにある温泉街の温泉津(ゆのつ)も構成資産であり、温泉に浸かって旅の疲れを癒すのもおすすめである。

​龍源寺間歩の内部

清水谷製錬所跡

温泉津の街並み

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